大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 平成元年(行ツ)90号 判決

スイス連邦ローソン

上告人

アクチェンゲゼルシャフト・フュール・インヅストリエレ・

エレクトロニーク・アギー・ローソン・バイ・ロカルノ

右代表者

フェルディナンド・ヘルマンルネ・ロンバルディニ

右訴訟代理人弁護士

三宅正雄

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 植松敏

右当事者間の東京高等裁判所昭和五七年(行ケ)第二六〇号審決取消請求事件について同裁判所が平成元年二月二三日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人三宅正雄の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断及び措置は、原判決挙示の証拠関係及び記録に照らし、是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審で主張しなかった事由に基づいて原判決の不当を主張するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中島敏次郎 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一 裁判官 木崎良平)

(平成元年(行ツ)第九〇号 上告人 アクチェンゲゼルシャフト・フユール・インヅストリエレ・エレクトロニーク・アギー・ローソン・バイ・ロカルノ)

上告代理人三宅正雄の上告理由

原判決は、次の諸点において、法令に違背するものである。

第一点 原判決は、釈明権の行使を誤った審理を基礎とするもので、違法である。すなわち、

原審は、準備手続において、原告訴訟代理人が提出した昭和六一年七月一〇日付準備書面(第七回・要約その一)を、明確な理由も示さず、陳述することを許さなかった(口頭弁論においては、それを陳述させないまま、準備手続の結果として法廷に上程された)。これは、明らかに、原告の弁論権を理由なしに制限するものであり、違法な訴訟指揮権・釈明権の行使である。

詳説すると、次のとおりである。

訴提起以来、準備手続で審理が行われること足掛四年、新たに、前代理人より本件を引き継いだ当代理人他二名(うち一名は、弁理士)の訴訟代理人は、前代理人が展開した主張・立証(特に主張)が大雑把すぎて、審決の違法を指摘する原告の立場として、当を得たものでないと判断したため、原審における訴訟活動を整理、再構築する必要から、まず、前記準備書面を「本準備書面において、原告は、従前の主張を整理・要約し、本訴における原告の主張をより明確にしようとするものである」と「(はじめに)」と表示した部分に前書きして、提出した。この準備書面は、民事訴訟規則第二一条第一項のいわゆる要約準備書面として、原告の主張を明らかにして、裁判所の審理・判断に役立てようとする意図の下に、当代理人の約一〇年間に及ぶ東京高等裁判所における審決取消訴訟事件を取り扱った経験を踏まえ、かつ、特許事件の特殊性も考慮して、従前の多岐にして論理性に欠ける主張を整理し、簡にして、要を得たものを裁判所に提供したつもりであった。その内容も、「請求の趣旨」から始まって、「請求の原因」一 特許庁における手続の経緯、二 本願発明の要旨、三 審決理由の要点(一 第一引用例の記載、二 第二引用例の記載、三 本願と第一引用例の記載との比較-一致点及び相違点、四 相違点に関する判断、むすび)を上欄に記載し、下欄に、従来の審理経過に徴して明らかと思われる被告の主張を対応して記載し、最終項四において、本件審決を取り消すべき事由として、

「第一 形式的暇疵について」の項において、一~五にわたり、審決の違法点を挙げ、「まとめ」として「以上主として形式面における本件審決の違法点を指摘した。このような審決の基本に関する初歩的瑕疵は、特許庁による審決の国内及び国際的権威と信用のために、速やかに司法審査により是正せられるべきものである」と念願を表明し、

終りに、「第二 実質的瑕疵について 本件審決における実質的瑕疵(違法点)については、次回以降において、詳述する」と結んだ。

以上概説したように、裁判所が審理促進の見地から提出を奨励したいわゆる要約準備書面としては、完壁なものと自負し、むしろ、判決書作成の便宜を提供するものとして、歓迎されるものと信じて、労苦と手数を惜しまず、作成したのであったが、当時の準備裁判官は、準備手続期日において、開口一番、「この準備書面は、従前の主張と重複するから、陳述しなくてもよいでしょう」ときめつけ、これに基づく陳述を一方的に拒否した。当代理人は、この余りにも思いがけない、非礼でさえある訴訟指揮に一瞬唖然とし、次いで、失望落膽した。要約準備書面というものは、準備手続の結果を要約するものであるから、要約された限りにおいては、従前の主張と重複することはむしろ当然の性質なのである。流石に相手方補助参加人代理人の先生(もと東京地裁の同僚)も、当代理人の憤懣遣る方ない思いに気づかれたのか、部屋を出るとき「見解の相違ということでしょうかね」といっておられた。ためになれかしと念じて、苦心惨膽してまとめあげた要約準備書面を「従前の主張と重複するから、述べなくてもよいでしょう」といわれた者の遣り場のない憤懣と落胆は、どなたも御推察に難くなかろうかとは思うが、それは私情として暫く措くとしても、このような主張整理の仕方は、訴訟指揮権、釈明権の誤用乱用であり、国民の信頼を基盤とする司法権の運用として、訴訟倫理の問題としても、また、法律上の問題としても、許されてはならないものと思料する。前記の準備手続の主張の陳述を拒否された時、当代理人は、もし後日原告が敗訴するようなことがあったら、上告審で争おう、と決意したのであった。もち論、準備手続の結果が法廷に上程された時点においても、結果に対する当事者としての期待もあり、その時点では、裁判所にさからうことも、どうかという配慮から、特に積極的に準備裁判官の措置の不当・不法を主張しなかったが、今にして思えば、悔いの残ることであった。

ここに、二つのエピソードを書き添えて、御参考に供したい。

(一) 最近のこと(一昨年か)東京高等裁判所の審決取消訴訟の準備手続において、準備裁判官から「この準備書面は陳述しなくてよいでしょう」といわれた相代理人(弁理士)は、「三宅弁護士から、今日は欠席するから、この準備書面を陳述するようにいわれてきたので、もし勝たしていただけるなら陳述しなくて結構ですが、そうでなかったら、陳述しないわけにはゆきません」といわれたとのこと。「述べなくてよいでしょう」といわれた場合の当事者の心理を物語って余りあるものである。裁判官も心すべき大事なポイントであろう。

(二) 昔、東京地方裁判所民事第二九部(工業所有権部)に勤務していた時代のことであるが、ある本人訴訟で、準備手続調書に、自分のいったことが書いてなくて、いわないことが書いてあるとし、公文書不実記載から職権乱用罪で準備裁判官、立合書記官ともども裁判長まで告訴され、東京高等裁判所の準抗告審で「犯罪の証明なし」として請求却下になったことがある(関係者である当職としては、いまでも「罪とならず」と決定されなかったことを遺憾に思っている)。いずれにしても、よい勉強になったことは、事実である。そういう経験を積まないと、当事者の心理がわからないのかもしれないが、それでは困ったものと、老婆心ながら愚考する。

第二点 原判決には、主文に影響を及ぼすべき重要な事項について、判断を遺脱した違法がある。

一 当職ら原告代理人は、原審において、記録上明らかなように、前掲昭和六一年七月一〇日付準備書面(第七回・要約その一)において、次の五項目を挙げて、本件審決の取消を求めたが、原審は、その判決において、この判決の結論を左右すべき重要な事項につき、一片の判断も、示していない。これは再審事由にも該当する重大な判断の遺脱である。

原審において審決を取り消すべき違法点として挙げた法律上の問題点は、次のとおりである。

(一) 本件審決には、審決に理由を付さない違法がある。

審決には、結論を導き出すに至った理由を付すべきことは、特許法の強く要求するところである。審決が特許庁の合理的判断作用である以上、当事者及び一般社会に対し、その結論が恣意的なものでなく、全く公正で合理的なものであることを明示すべきことを法は要求しているのである。

しかるに、本件審決には、まことに奇異なことながら、拒絶理由の根幹である第一引用例及び第二引用例について、それが本願出願前公知の刊行物であることについて、一言半句の理由が付されていない。本件審決は、明らかに法の要求する基本的要請に答えていない。このような欠陥は、それが審決として当然のことである基本的、初歩的要請を無視した違法なものである。このような違法は、審決として、救いがたい欠陥である。内容において実質的に誤っていないということは、この欠陥を救済することにはなりえない。ここで大事なのは、形式であり、このような基本的要請すら満たしていないことは、審決の権威を内外において失墜するものである。

(二) 審決には理由齟齬又は理由不備の違法がある。審決は、本件特許出願は、特許法第二九条第二項の規定により特許することができないとしながら、本願発明がその出願前公知の刊行物に記載された発明から容易に発明することができたものである点については何らの認定をしていない。矛盾も甚だしい。

なお、右の二点は、仮に本訴において、これを追完したとしても、審決としておかした違法は、事柄の性質上、治癒されうるものではない。事実としての審決の誤りは、判決をもってしても、如何ともしがたいがらである。特許庁としては、審決の取消を得たうえ、みずからの手で、これを補完するほかはないものと思料する。

(三) 審決には、虚無の証拠をもって、事実認定をした違法がある。審決がその理由を構成する重要な資料として引用している甲第四号証は、本来、我が国の特許庁において、日本語で書かれたものではない点において、本件審決の認定資料としての能力(証拠能力)を有しないものである(特許法施行規則第二条参照)。この場合、後日、翻訳文を添付すれば十分であると考えることの誤りであることは、行政処分に対する司法審査の機能から見て、極めて当然のことであり、そう解するのでなければ、今日、外国文献に翻訳文を添付すべきものとしないプラクティスを是正することができず、法令違反の手続を看過することになるからである。審決は、審決として、あくまで、たとえ形式面においてであろうと、なかろうと、合法的でなければならないのである。審決における甲第六号証についても、同断である。

(四) 審決には、理由を付さない違法がある。

本件審決は、甲第四号証及び第五号証をそれぞれ「第一引用例」及び「第二引用例」と称して、これらには、審決が引用した内容の技術が開示されているとしているが、果して、そうか不明である。書かれた外国語によれば、そうであるとしても、それだけでは、引用例にならないし、審決に理由を付したことにもならない。

(五) 審決は、「甲第四号証と甲第五号証とは実質的に同一内容と認められ」るというが、どうしてそうなのか説明されていない。この点について、「請求人も異なる主張をしていない」などということは、職権証拠調主義を建前とする審判手続においては、意味のない責任転嫁ないし気休めであり、何らの説得力を有しないものである。-以上、前掲準備書面より摘記

これらの諸点は、確かに形式的瑕疵ではあるが、いずれも審決を取り消すべき十分な理由である。昭和四〇年以来約一〇年間、東京高等裁判所において、数多くの審決取消訴訟事件の裁判を取り扱ってきた当代理人が、その体験を通じて、一つとして怱せにできないと感じていた事項なのである。

準司法機関といわれる特許庁(審判官)も、このような法律的問題については、理解が十分でなく、往々にして問題の所在すら意識しない傾向が見られる問題なのである。当代理人があえてこれらを取消事由として取り上げたのは、特許庁のこの種の体質的な誤りを何とか是正することが、我が国の特許制度の運営上、なおざりにし去るべきではないとの特許観に基づくものであったが、不幸にして、原裁判官の眼には、取るに足りない愚論としか写らなかったようである。

二 原判決の事実摘示を読むと、前項の取消事由は、一つとして、原告の主張として摘示されていない。おそらく、担当準備裁判官も、合議体も、原告の右主張を記載した準備書面を陳述しなかったものして処理し、全く顧みるところがなかったのかもしれない。しかし、もし、そうとすれば、それは明らかに、日本国憲法の保障する訴権に対する侵害であり、民事訴訟法に定めるいわゆる判決請求権の侵犯である、と当代理人は、思料する。原告が訴状に所定の印紙(手数料)を貼用納付し、法に則った書式の書面を提出して、判決による裁断を求めた以上、その判断を拒否すべきでないことは、裁判所の当然の責務である。しかも、短かからざる実務経験を積んだ訴訟代理人が、苦心して作成した準備書面の重要な部分を、みずから進んで陳述しないとすることなど、通常は、ありえないことであり、担当準備裁判官が訴訟代理人の明確な「不陳述」の意思表明もないのに(当代理人らは、そのような意思を表明した記憶はない)、陳述しないものとして取り扱うなどということは、不当かつ不法な取扱いである。準備裁判官は、主張、証拠の整理を行うのが職務であり、当事者の主張を切り捨てて、判断しないこととする権限などあろう筈はない。ことに、本件におけるように、原告が主張した重要な事項を陳述しないこととしておいて、原告敗訴の判決をするなど、敗訴の当事者からみれば、だまし打ちにあったような憾を禁じえない。国民の信頼をこそ生命とすべき裁判として、一人にでも、半人にでも、このような救い難い不信感を与えることは、心して、避けるべきであることは、いうまでもない。事ここに出なかった原審の審理は、まさに、不当にして違法なものといわざるをえない。もし、これらの主張のいずれもが取るに足りないものであるならば(当代理人は、そうは思わないが)、これを主張させて排斥することは一挙手一投足の労にも値しないことであった筈である。それをあえてせず、たとえ一人でも国民の怨みを買うことは、吾人の親愛する裁判所のために、とらないとてろである。ほしいままに忖度するに、原審、特に担当準備裁判官は、技術的問題に強い関心が惹かれ、法律的問題には余り気が届かなかったのかもしれないが、もしそうとすれば、裁判所としては、本末転倒、少なくとも、片手落ちである。

第三点 原判決は、審決取消訴訟において法律上要求される裁判所の審理・判断の領域を逸脱し、加えて、採証の法則に違反した違法のものである。

一 申すまでもなく、審決取消訴訟における裁判所の審理範囲、したがって、その判断の範囲は、当該審決が、その示した理由において、適法であり、原告主張のような違法点があるか否かを法律的観点から判断することをその職務・権限とするものである。しかも、この種事件における東京高等裁判所は、西ドイツにおける特許裁判所のような特別裁判所ではなく、通常の法律的知識経験を有する裁判官によって構成される通常裁判所であり、特許庁のような技術専門官庁でもない。したがって、社会もそう評価しているように、専門的知識を必要とする化学・機械等の技術については、裁判官は、特別の知識、経験はないのが一般であると同時に、むしろそれが法の期待する裁判官の資質なのである。裁判官は、法律に関する専門家ではあっても、特許等の対象となる技術については、一般的には非専門家なのである。非専門家であることを前提とするからこそ、技術面の調査等をさせるために裁判所調査官を配置し、他の一般民事事件と同様、証人(鑑定証人)、鑑定人による資料の採取を認めているのである。この事理は、審決取消事件を扱う東京高等裁判所の裁判官にも当てはまることであり、東京高等裁判所の専門部(現在三か部)や、東京、大阪地裁の専門部は、同種の事件を特定の部で審理裁判すると、関係者の事件の理解が早く、したがって、処理も適正、迅速にいくであろうし、他の部の事件処理にも妨害となることが少ないであろうとの期待をもって設置されたもので、いわば窓口の一本化による能率向上を図ったものであり、決して技術専門家を養成し、又は、これらを集めたものでないことは、昭和三六年、東京地裁民事第二九部(工業所有権部)の創設にかかわった当代理人が申し上げるまでもなく、裁判所内外によく知られたことに属する、と思料する。しかし、このような特別部で、日夜、特許事件等に苦労を重ねていると、いつの間にか、ある程度の技術的知識が養われてくるので、そこはかとなく、技術論に立ち向ってゆくようになる傾向がある。しかし、これは、裁判官としては(個人的趣味としては別として)、持ってはならない慢心であり、職務権限の逸脱である。実際問題としても、ありとあらゆる技術が絡んでくる工業所有権関係事件の技術分野について、裁判官がその専門家であることは、法も期待しないように、ありえないのである。もち論裁判官も勉強することにより、ある程度の理解力が高められ、また、時には、技術の分野について造詣の深い裁判官もあったし、将来も、そういうこともあろうとは思うが、仕事としての事件処理については、そのような個人的趣味や、たしなみで裁判をすべきでないことはいうまでもない。俗に「蛙の子は蛙」といわれるように、法律家は、あくまで法律家であり、当然に、公人としては、謙虚にその分を守るのが正しい在り方であることは、多言を要しないところである。

いま、本件について、これをみるに、卒直にいって、原審判決でみる限り、素人が、その枠を越えて、ひとりで、(鑑定人等の専門家の協力なしに)、専門技術にわたる議論を展開しているように感じられて、そのうとましさが第一印象を形成する。技術問題については、もっともっと謙虚であってほしいと願われてならない。いちいち鑑定人を煩わしていては、ヒマがかかるというのは、裁判所としては、いってはならない暴論である。ヒマがかかろうが、何であろうが、裁判所は、その説く議論の客観性をこそ、第一義とすべきである。素人の玄人ぶった議論ほどうとましいものはない、と当代理人は、日頃から、何かにつけて、感じている。

二 原判決について、まず、指摘したいことは、記録上明らかなように、要点をまとめれば、原判決書で、八頁と四行ほどの審決理由について、その認定・判断が法律的に正当であることを判示するのに、実に二九頁という近来稀に見る尨大な量の説示を試みていることである。関係裁判官の労と熱意には敬意を表するが、僅か八頁余の審決理由を擁護するのに、三〇頁に垂んとする文字を列ねなければならなかっということは、原告の攻撃の前に、審決の命運は、風前の灯であったことを物語るものということができる。何故、そうまでして審決の結論を維持しなければならなかったかが問題である。判決によるそれだけのバックアップがなければ、命脈が保てないような行政処分(審決は行政処分)などというものは、その機能を全うしていないものであるから、速やかに特許庁に再審査を行わしめるのが、裁判所の責務である筈である。本件に限らないが、この頃、裁判所の審理ぶりなどを拝見していると、控訴審では、原判決がその理由では不当でも、他の理由によれば正当なときは、控訴を棄却すべしという民事訴訟法第三八四条第二項の規定が審決取消訴訟にも妥当すると誤解しておられるのではないかと疑われる節が時折見られる。しかし、これは同一系列に属する控訴裁判所と原審裁判所との関係にのみ通用する通則であり、全く系列関係のない行政庁としての特許庁と司法機関としての東京高等裁判所との間には、この規定の準用の余地など全くないものであることを関係者は、牢記してほしいと念ずる。

当代理人があえて上告審に出訴した理由の一つは、最高裁判所の本件に関する判決を通じて、審決取消訴訟における裁判所に期待される在り方を御示しいただきたい、と念願することである。

三 原判決の具体的違法点

(一) 原判決は、その理由「本件審決を取り消すべき事由の存否について判断する」と書き出した部分において、「…当事者間には、本願発明の技術的思想の理解についての相違があり、より具体的には本願発明においては、いかなる態様の加工作業ができるかという、そのなし得る加工作業の態様の範囲について、それぞれの理解が異なっているので、この点から検討することにする」と説示するが、そもそも、このような議論こそ、本件審決の違法性の有無とは関係のない(その意味で、争点外の)無駄な独善的思考である。そして、種々理由を挙げて結論めいた判示をしているが、敗訴の当事者の代理人としては、その認定説示には、いささかの客観性も、論理性も見出すことはできない。それは一個の裁判官各位の見解、意見にしかすぎないからである。最も遺憾とすることは、技術的専門家による支持のない意見にしかすぎない点である。

(二) 原判決は「…回転点に関する相違は、単なる設計事項に過ぎないものというべきである」(原判決五七丁裏)と結論するが、「単なる設計事項」とは何かが全く明らかでない。このような特許庁で慣用される不明確な概念(当代理人のいう「特許弁」)をもって、原告の主張を排斥するのは、理由を付さない判断といわざるをえない。

(三) 原判決は、また、「この作動を二つの独立した駆動手段によって行うことも可能であるから(代理人注-その証拠は明示されていない)二つの案内手段又は案内腕を一つの駆動手段により行うか、それぞれ独立した駆動手段により行うかは、当業者が必要に応じて適宜選択し得る設計事項というべきである」(原判決五九丁表)というが、「当業者が適宜選択し得る設計事項」とは、何をいわんとしたのか、これまた、明らかでない(本件のような外国人を当事者とする事件については、日本の代理人は、当事者の攻防のあらまし、判決の要旨等を英訳して報告するのが一般であるが、このようなあいまいな、意味不明の日本語を判決で使用されると、差しずめ英訳に窮する)。また、この認定に専門家の支持がないのであるから、少なくとも敗訴の当事者は、単なる裁判官の一見解の表明としか受け留められないのである。少なくとも、当代理人は、それが全面的に正しいとは、思いかねるのである。

(四) 原判決は、また「…本願発明の進歩性を否定した本件審決の判断は、正当であり、…これを取り消すべき違法の点はない」(原判決六〇丁裏)と結んでいるが、いうところの「進歩性」とは何か、それを否定する、とは、どういうことか、明確を欠き、あえていえば、裏づけのない独りぎめの結論にしかすぎない。しかも、「進歩性を否定した本件審決は正当であり」というが、審決取消訴訟で大事なのは、審決が、その表明した理由において正当でなければ、進歩性否定という結論は、同じでも、なお取り消されるべきものである、という初歩的、基本的なルールを忘れている。

これを要するに、上告人(原審原告)としては、原判決が、原告が法律実務家と技術的専門家と共同して提出した技術点に関する主張を技術専門家の意見(証拠)による裏づけなしに、いわば裁判官の独自の認識に基づいて判断を示したことを、民事訴訟における採証の法則に違反し、また、本来の審理・判断の埒を越えるものと論難するのであり、原告が技術専門家の見解に基づいて、練りに練って作成提出した主張を、たとえ御苦労はされたにしても、法律専門家としての裁判官だけの意見と判断だけで、斥けられたことを、限りなく、不満とするのである。そして、もし技術専門家の意見を徴したなら、我々の主張は肯定された筈であると、信じて疑わないのである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例